人生いたるところに青山あり
2008年11月7日 時事ニュース政治・外交から文化まで幅広く報道するテレビキャスターとして長く親しまれ、雑誌「朝日ジャーナル」編集長も務めた朝日新聞元編集委員の筑紫哲也(ちくし・てつや)さんが7日午後1時50分、肺がんのため都内の病院で死去した。73歳だった。
大分県生まれ。59年に朝日新聞社に入社し、68年には米軍統治下の沖縄特派員として返還交渉を取材。71年からの米ワシントン特派員時代には、当時のニクソン大統領を辞任に追い込んだウォーターゲート事件を取材した。
84年に朝日ジャーナル編集長。「若者たちの神々」「新人類の旗手たち」などの企画が話題になり、「新人類」は流行語になった。
外報部次長時代の78年、「こちらデスク」(テレビ朝日系)のキャスターになり、テレビでも知られるように。89年に朝日新聞社を退社し、TBS系の報道番組「筑紫哲也NEWS23」のキャスターに就いた。穏やかな語り口で、フリップにタイトルを示して世相を評論する「多事争論」のコーナーが話題を呼んだ。98年11月にはクリントン米大統領(当時)をスタジオに招くなど、各国の首脳と市民が直接対話する場の司会を務めた。
米ワシントン特派員時代のメモ『ポトマックの両岸』、米大統領選の長い道のりをリポートした『アメリカン・マラソン』など、まだ見ぬ米国に対する憧憬を抱いたものです。
『こちらデスク』懐かしいです。留守録が不可能(だって、ビデオないもん)だったから、
其の時間にはきっとチャンネル合わせてました。
米国と日本の関係を暗示してるようで…と解説された陽水の
『とまどうペリカン』とか、何年経っても思い出す瞬間があります。
新聞の読み方や報道の見方も教わった気がします。
アレから、幾星霜…少しは大人になった身にはアナタが過去のモノとなり、
忘れてしまうコトもありましたが…
いやあ~やっぱり、アナタはワタシの英雄、永遠のヒーローです。
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